器用貧乏
私は夫一人、息子一人、猫一匹と東京に暮らしている主婦です。
夫は働いていて、息子は小学一年生として毎日元気に学校に通っている。
猫は15歳と老齢ながら、日々自分のお気にいりの場所を探し自由気ままに寝そべっている。
特別裕福ではないけれど、決して貧乏とも言えない生活の中で気になる「器用貧乏」という言葉。
7年前初めて息子を授かり出産、子育て、退職を経験した(退職は初めてではないけど)。この7年間初めての経験だったことばかりだけど、特別トラブルもなくやってこれた。初めてのママ友、子育て広場デビュー、幼稚園入学準備、習い事、小学校入学準備、小学校入学。
今までの私の中に無かった母としての役割を問題なくこなしてきたと思う。
いや、むしろよくできたと思ってる。
初めてのママ友とは何一つトラブルもなく今でも仲良くさせて頂いているし、幼稚園入学準備では少し倍率の高い幼稚園に息子を入園させ、幼稚園でも息子はよくできると褒められ、小学校にも問題なく入学。
もちろん、私の力なんてその中のほんの一部で、息子自身が良い子で周囲の人たちに恵まれて来たからではあるのだけど。
一人息子が小学校に入学したところで、彼の人生の十分の一も終わってなくて子育ても半分も終わってない。今までがどんなに良い子でもそれが全く無かったことになるような出来事が起こるかもしれない。
だけど、息子が小学校に入学した今年の四月から、徐々に確実に自分だけの時間が持てるようになって来た。
幼稚園と違い送り迎えもなくなり、彼が日々過ごす場に行く事も少なくなると、母親たちとの交流も少なくなる。
母業をメインにこなしてきたこの7年間で今一番私、時間がある。
もともと。
自分を振り返ることが好きだった。事あるごとに振り返り、悪いことがあると何がいけ無かったのか、良かったのか。この結果になったのはなんでなのか。暇さえあれば考えている。
一人頭の中で。
それが、時間があればますます考える。
そして最近行き着いた先が「器用貧乏」。
私は、初めて直面する事になんとなくうまく対応できる。人間関係でも、創作物でも。 ちょこっとだけ人より上手にできる。ほんのちょこっとだけ。
思えば、母業に限らない。
学生時代からそうだった。頑張って頑張ってできるようになったという、思い出が無い。
小学生の頃から身体も大きかったからか、なんとなくいつも輪の中心にいた。人間関係で悩んだことが無い。
勉強も運動もなんとなくそれなりで、悔しい思いをした思い出もない。
そんなんで、大学を卒業し社会人をやってきた。
そして、結婚し子供を産んで母になった。
時間ができて自分の半生を振り返ってみると、私、何も持っていない。
いろんな事に興味はある。今までもたくさんあった。
でも、なにかにハマった。ハマって大変だったけど、いま思えばよかったなーと言うことが無い。
興味を持つととりあえず手をだすタイプではあると思う。
とりあえず、手を出すと三ヶ月は精を出して頑張る。そしてそれなりに、表面をなでてみる。それでおしまい。
それ以上は頑張らないと進めないから。
頑張って、頑張って何かを手に入れた大きな経験を持たない私は頑張らない。
頑張らなくても次の何かがある。
そして、また次の何かに興味を持って精を出す。
その連続で、今のわたしがある。
これを「器用貧乏」というのではないかしら?
いいじゃないか。それで。
興味の対象はいくらでも世の中に溢れている。
そうも思う。
でも、やっぱり何かやりたい。
私にはこれがあるって言うものがほしいなぁと思う。